事例:123
シフトシャフトリターンスプリングの折損によるシフトロックがもたらす変速不能について |
【整備車両】
K125S (コレダ S10) 年式:1995~2000年 参考走行距離:約23,100km |
【不具合の状態】
シフトペダルが完全にロックしていて変速できない状態でした. |
【点検結果】
この車両はお客様が走行中にシフトダウンしたところ,大きな音とともにシフト機構がロックし,
変速できなくなってしまったということで,メガスピードにて修理を承ったものです.
シフトはおそらく2速でロックしたものの,エンジンは問題なくかかるということで,自走にて持ち込まれました.
図1.1はシフトペダルの動きを確認している様子です.
この車両はロータリー式のシフト機構になっていますが,シフトアップもシフトダウンもできず,
シャフトの奥で完全にロックしており,何かを噛み込んでいる手応えを受けました.
変速不可能に陥る状態として,
①ミッションギヤやスリーブの破損による機械的ロック
②シフトカム(シフトドラム)を含めたシフトフォーク等の破損
③シフトシャフト廻りのリンク部の不具合
の大きく分けて3つが考えられます.
エンジンがかかり走行できるという状態から,ミッションギヤそのものはロックしていないと推測することができますが,
シフトカム等が不具合を発生させているのか,シフトシャフト廻りが不具合を発生させているのか,
どちらかを特定することは困難であることから,
まずはエンジンを降ろさずにアクセスすることが可能なシフトシャフト廻りを点検する為に,
クラッチカバー側からエンジンを分解する段取りにしました.
図1.2はクラッチカバーを取り外す為に,古いミッションオイルを抜き取っている様子です.
全容量は850ccですが,お客様がオイル点検を行ったところ足りていないことから,
メガスピードに持ち込まれる少し前に500cc程度追加したという経緯があります.
その上でオイルの色から推測されるのは,汚れが著しく,定期的にメンテナンスされていなかったものであるということです.
この様な車両の場合,排出されるオイルの中に不具合の発見となる手がかりが隠されていることが少なくありません.
したがって,今回の事例でも,抜き取ったオイルから最大限エンジン内部の情報を引き出すべく,
詳細に排出オイルの点検を実施しました.
その結果,細かなゴミにまぎれて金属片が混ざっていることが分かりました.
図1.3 エンジンから排出されたスプリングフックと見られる金属 |
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図1.3は抜き取ったミッションオイルの底に沈んでいた金属の様子です.
形から判断するとスプリングのフックである可能性が高く,
クラッチ側エンジン内部でスプリングの使用されている部位としては,
シフトシャフトリターンスプリング及びシフトカムストッパの2か所であることから,
この金属はどちらかのスプリングの折損した一部であり,その他の部分が見つからないことから,
エンジン内部に残されている可能性が高いことを念頭に,クラッチカバーを取り外しました.
またその場合,今回の変速不能・シフトロックの原因がシフトシャフト廻りに含まれている可能性が,
他の可能性より高いということを意識しながら先に進みました.
図1,4はクラッチカバーを取り外しエンジン内部を確認している様子です.
内部の状態や状況を汚染しない様に,まずはカバーをはずしてじっくり目視点検から行いました.
すると黄色の四角Aで囲んだ部分にあるはずのスプリングがなくなっていること,
Bで囲んだ部分にスプリングの一部と見られる部品が落ちていることが分かりました.
図1.5 スプリングの脱落しているシフトシャフトレバー部 |
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図1.5の青い四角で囲んだ青い矢印Aの部分はリターンスプリングが取り付けられているはずの穴です.
しかし例えスプリングが装着されていなくても,Bで示したピンを支点にして,
Aの穴は本来もっと低い位置になければなりません.
したがって,Bのピンより右側の部位で何らかの異変が発生している可能性があると判断しました.
図1.6 エンジン下部に落下しているシフトシャフトリターンスプリング |
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図1.6はエンジン下部に落下しているスプリングの様子です.
図1.5のAの穴に取り付けられていたシフトシャフトリターンスプリングの一部であると推測され,
先に排出したミッションオイルに混入していた金属片は,このスプリングの欠損しているフックの部分であると考えられます.
図1.7 折損したシフトシャフトリターンスプリング |
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図1.7はミッションオイルに混入していたフックと見られる金属片と,
エンジン内部に落下していたリターンスプリングと推測される一部を並べて示した様子です.
切断面の形状や,スプリングそのものの形状から,この2つの金属はともにリターンスプリングであると結論付けられ,
部品の状態から金属疲労により折損した可能性が極めて高いといえます.
図1.8は完全にロックしているシフトシャフトの様子です.
これがシフトロックした直後に大きな音が発生した原因と考えられます.
プライマリドリブンギヤの内側に丁度潜り込む形でシフトシャフトが固定されていました.
通常はこの様な位置関係には絶対にならない為,状況の推測に基づく再現実験を行いました.
正常な位置にシフトシャフトを取り付け,
そこからリターンスプリングを取り外した状態でシフトシャフトを反時計回りに回転させると,
シフトカムを動かす爪が脱落してプライマリドリブンギヤの裏側に脱落してロックすることが確認できました.
つまりシフトペダルをシフトダウン側に操作した瞬間にシフトカムを動かす爪が脱落してロックし,大きな音が発生したといえ,
これはお客様の証言と一致します.
図1.9はシフトシャフト先端が摩耗している様子です.
白い四角Aで囲んだ部分はプライマリドリブンギヤに接触していた部分であり,
摩擦により平らに削れてしまっていることが分かります.
図1.10 擦れた形跡のあるプライマリドリブンギヤ |
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図1.10は取り外したプライマリドリブンギヤの裏側の様子です.
白い矢印で示したAの部分はシフトシャフト先端が接触していた部位であり,
表面がわずかに削れてしまっていることが分かります. |
【整備内容】
今回の症状であるミッションが変速できない原因は,
リターンスプリングの折損によるシフトシャフトの脱落ロックであることから,
リターンスプリングを新品に交換し,各部の状態を点検しながら組み上げる方針で進めました.
図2.1 シフトシャフトレバー部に取り付けられた新品のリターンスプリング |
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図2.1はシフトシャフトレバーに新品のリターンスプリングを取り付けた様子です.
パーツリスト通りの品番で注文し,その品番で入荷した部品ですが,
折損していたものと若干形状が異なるスプリングでした.
図2.2はシフトシャフトレバーに新品のリターンスプリング(図のA)を取り付け,
実際にシフト動作が確実に行えるか確認した様子です.
同様のシフトカムストッパスプリング(図のB)も合わせて新品に交換することにより,
スプリングの折損によるシフトロックの危険性を可能な限り排除しました.
図2.3 正確にギヤチェンジできるようになったシフトペダル |
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図2.3はシフトリンケージ機構の整備を完了したシフトペダルの様子です.
ニュートラルを含め,すべてのギヤにスムーズに変速することができることを確認して整備を完了しました.
実際に試運転におけるシフト操作も滑らかで,本来の性能を取り戻すことができたといえます. |
【考察】
この車両の走行距離は約23,100kmであり,スプリングが金属疲労により折損したとすれば,
修理後に同じくらい走行する,すなわちトータル約45,000km程度の走行で,
再び折損してシフト機構がロックする可能性は否定できません.
しかし折損していたスプリングと新品のパーツリストの品番通りの部品では線径が異なり,
新品の方が遥かに耐久性では優れていると推測することができます.
通常はクラッチ機構の奥側に位置する部位であり,頻繁に分解される箇所ではないことから,
折損したスプリングが新車当時のものであるとすれば,品番変更されないまま部品が改良された可能性も否定できません.
リターンスプリングはシフト機構で最も重要な部品であるといえ,ギヤチェンジの度に伸び縮みを繰り返すことから,
疲労が蓄積されやすい部品であるともいます.
スプリングを目視しただけで金属疲労の度合いを推し量るのは不可能であることから,
その周囲の整備を実施した場合は,可能な限り新品に交換しておくことが望ましいといえます.
この事例では,たまたまセカンドギヤすなわち2速で固定した為に,
お客様が出先から帰還することができました.
しかしもしローギヤでロックしていたら,あるいは4速トップギヤでロックしていたら,
とても安全に公道を走行することはできなかったはずであり,
ニュートラルにシフトした段階でロックしてしまえば,自走不可能になり,レッカーを出動させるはめになります.
やはり古い車両であれば,可能な限り疲労した部位に関しては整備を実施することが求められ,
特にこの事例の様にシフトリンケージのスプリングに関しては,
破損したときの重大性から使用箇所すべてにおいて可能な限り早めに整備されることが必要です.
ギヤチェンジができないという症状でも,様々な原因が考えられます.
ミッションはエンジン内部の一番奥に位置することから,ギヤの破損が生じている場合は,
エンジンを最後まで分解しなくてはなりません.
もちろん原因がギヤであると完全に把握できる場合は,そこまで作業を進めなければなりませんが,
一番コストのかかる部位であり,故障診断は慎重かつ正確に行われる必要があります.
例えば変速できなくなったエンジンを修理するくらいなら載せ替えた方が良いという人もいるでしょう.
しかし載せ替えたところで,そのエンジンが本当に正常かどうかは,
実際に分解整備してみなければ分かるはずがありません.
もし何も見ずに載せ替えてすぐに不具合が発生すればそれこそまさに二度手間であり,
最も避けるべき行為であるといえます.
何も見ていない中古のエンジンが正常であると誰が保証できるでしょう.
確かにエンジン載せ替えは極めて容易な方法であり,工具があれば素人でも誰にでもできる簡単な作業の1つです.
(もっとも素人整備とプロフェッショナルが実施したエンジン載せ替え作業に雲泥の差が生じるのは当然です)
故障しているエンジンをオーバーホール【overhaul】(分解整備・精密検査)するよりも安上がりになるかもしれません.
しかしそれは単に部品を交換しただけであり,いわゆる“チェンジニア”のやることです.
悪そうなところをまとめて交換するのは誰にでもできる稚拙な解決方法に過ぎません.
結果的に不具合が解消されたとしても,それでは修理したことにはなりません.
交換した中身が何だか分からないからです.
“エンジニアにはなってもチェンジニアにはなるな”とは良く言われたものです.
整備技術者は必ず不具合の原因を突き止め,その対策と再発防止を図る能力が求められます.
なぜならそうしなければ,同じことが近い将来発生する可能性を否定することができないからです.
今回の事例では症状から推測し得る一番外側の点検整備から実施することにより,
無駄なく原因を突き止め修理を完了することができました.
具体的にいえばミッションオイルの抜き取りから得られた情報を元にクラッチ側から整備を開始した点です.
故障診断こそ整備技術者の能力の真価が問われるといっても過言ではないほど大切なことなのです. |
【研究】
エンジン内部のクラッチ側にはシフトシャフトリターンスプリングと,シフトカムストッパスプリングの,
合計2つのスプリングが使用されています.
今回の事例ではシフトカムストッパスプリングは正常に取り付けられていたことと,
シフトシャフトリターンスプリングが本来の位置からなくなっていたことから,
エンジン下部に脱落していた折損しているスプリングは,
本来の位置から外れてしまったシフトシャフトリターンスプリングであると考えられます.
しかし,新品の部品を注文すると,パーツリストの品番と同じ品番すなわち部品変更や統一なしで,
折損していたスプリングとは違うスプリングが入荷しました.
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図3.1はエンジンクラッチ側に使用されているスプリングを比較したものです.
一番左側の折損しているスプリングは,今回の修理においてエンジン内部に脱落していたものです.
Aのスプリングは新品のシフトカムストッパスプリングであり,
BとCはともに新品のシフトシャフトリターンスプリングで,BがK125(-7),(-8),(J),(L)型,Cが最終の(S)型になります.
すなわち青い四角で囲んだスプリングがシフトカムストッパスプリング,
赤い四角で囲んだBとCのスプリングがシフトシャフトリターンスプリングになります.
ここで矛盾が生じます.
破損しているスプリングの外観はどう見てもAのシフトカムストッパスプリングと同一であり,
BやCのシフトシャフトリターンスプリングとは異なるものであると判断せざるを得ません.
しかし実際になくなっていたのはシフトシャフトリターンスプリングであることから,
折損した結果脱落したと推測されるスプリングはシフトシャフトリターンスプリングということになります.
BとCのリターンスプリングが品番統一されてAと同一のものになるというのであれば理解することができますが,
今回注文した限りでは,入荷した新品のリターンスプリングの袋に記載されている品番が,
パーツリストの番号から変更されていないことから,
AとB,そしてCのスプリングはすべて別物であると考えなければなりません.
すなわち本来折れているとすれば,Cの最終S型のリターンスプリングが見つからなければならないといえ,
例え7型や8型,J型,L型のエンジンに載せ替えられていたとしても,Bのスプリングが見つからなければならず,
Aのカムストッパスプリングが折損していることを説明することができません.
当該車両であるS型の新車の状態がどのようになっているかを把握することは難しいといえますが,
仮に今回折損したスプリングがシフトシャフトリターンスプリングとして使用されていたのであれば,
最終S型のリターンスプリングは線径が太くなり,強度が増していると見込める為,
次に折損するまでの寿命は大幅に長くなっているものと推測することができます.
a |
シフトカムストッパスプリングA |
シフトシャフトリターンスプリングB |
シフトシャフトリターンスプリングC |
右巻き |
右巻き |
右巻き |
巻き方向 |
巻き数 |
8 + 1/2 |
13 + 1/4 |
9 + 1/2 |
全長 |
27,0mm |
24.0mm |
27.0mm |
線径 |
0.93mm |
0.91mm |
1.20mm |
外径 |
7.78mm |
7.16mm |
7.78mm |
表1.1 シフトカムストッパスプリングとシフトシャフトリターンスプリングの比較 |
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表1.1はそれぞれのスプリングを数値で比較した様子です.
すべて右巻きであり,全長も特筆すべき違いがあるとは言い難いといえます.
巻き数は全長に対する線径から自ずと決まるものであり,フックの形状にも影響される為単純には比較できませんが,
この数値に重要事項が隠されているとは考えにくいといえます.
やはり一番の差は線径であり,スプリングCは線径が他よりも約1,22倍太くなっています.
またCはBと比べて約0.62mmも外径が大きくなっています.
これは型式が最終型に変更されたことにより,部品の見直しで強度を上げたと考えるべきであるといえますが,
Bの品番で注文するとBの新品が入荷することから,Bの改良型と断定することはできません.
なぜならBに不具合があるとすれば,Cに統一されているはずだからです.
しかし実際にはBとCが混在しており,Bの全長がCよりも3mm程度短い為に統一されなかったとするのは無理があり,
Bの線径が約0.9mmのまま現在に至っていることから判断すれば,実際にはそれで事が足りるということになります.
この車両はお客様が中古で購入されたということなので,
今回の事例において折損したスプリングが新車当時からのものなのか,
あるいはどこかの時点で意図的に交換されたものなのかを判断することはできません.
しかしひとつだけ確かなことは,スプリングは折れるということです.
振動負荷の著しい2サイクルエンジンの排気チャンバを吊るす為に使用されるスプリングの寿命が極めて短いことは,
2サイクルのライダーであれば容易に想像することができますが,エンジン内部も同様であり,
可能な限り定期的に整備されることが望ましい部品であるといえます. |
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