事例:E-163
無理にロウ付け補修されたフロートピン支柱の曲がりによるガソリン漏れについて |
【整備車両】
RG400EW-2W (HK31A) RG400Γ(ガンマ) 2型 年式:1987年 実走行距離:約1,200km |
【不具合の状態】
エンジンが始動不能であると同時にキャブレータからガソリン漏れが発生していました. |
【点検結果】
この車両はお客様のご依頼によりメガスピードにて各所分解整備したものです.
長期保管により始動不可の状態に陥っていた為,不具合の原因と推測される,
キャブレータのオーバーホール【overhaul】(分解整備・精密検査)を実施しました.
今回の事例ではその中の燃料漏れについてとりあげます.
図1.1 3番ロータリーバルブから噴き出しているガソリン |
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図1.1は点検の結果として確認した3番ロータリーバルブからのガソリンの噴き出している様子です.
エンジン内部にかなりの量が流れ込んでいた為,キックをした段階で図のように排出されました.
この原因はキャブレータに起因すると判断し,
3番シリンダキャブレータをオーバーホール【overhaul】(分解整備・精密検査)しました.
図1.2はフロートチャンバを取り外して内部を確認した様子です.
長期保管の車両ゆえメインジェットの詰まりが確認できますが,
それ以上に見た瞬間にフロートの取り付け異常を疑わなければなりません.
分かりやすくする為に,図にボデーと並行の線x及びそれと直角の線yを引きました.
特にフロートの長さが長いy軸に対するフロートのずれを顕著に確認することができます.
正常であればすき間があるはずのフロートのメインジェット及びニードルジェットホルダに対する“逃げ”の部分の側面が,
ニードルジェットホルダの収まるボデー側に接触する程取り付けが傾いている状態でした.
図1.3 表面に盛り付けられているフロートピン支柱 |
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図1.3は外側のフロートピンの支柱をエアパイプ側から見た様子です.
フロートの陰にある影響で細部まで確認できませんが,
表面に何か盛りつけた,あるいは塗り付けられていると判断できます.
図1.4は外側のフロートピンをエンジン側から見た様子です.
付け根に亀裂が発生していることが確認できます.
図1.5はフロートを取り外した外側のフロートピン支柱の様子です.
黒矢印aで示した部分はアルミニウム合金を溶かしたような金属であると推測され,
bの部分は樹脂の様なものであると推測されます.
キャブレータの部分的にも肉厚的にも溶接での補修は難しい部位であるといえ,
ロウ付けされたと考えるのが自然です.
実際にそれぞれの成分は分かりませんが,折れた支柱を補修する為に加工されたことは想像に難くありません.
そして折れる原因は最後に整備した業者が作業ミスによりピンを引き抜く際に折ってしまったとほぼ断定することができ,
それは通常の使用による負荷でこの支柱が折れる可能性はほぼゼロに等しいといえるからです.
図1.6は補修されている支柱をエンジン側から見た様子です.
黄色楕円で囲んだ部分に亀裂が発生していることが分かります.
また亀裂を埋める様に樹脂が固められていることが確認できます.
図1.7は外側の支柱の傾きが分かりやすい様にフロートピンを取り付けた様子です.
外側の支柱がキャブレータ内部に倒れ込んでいて,支柱が図で示すのであれば右肩上がりになっていました.
これではフロートを取り付けた時にフロートバルブとシートが正常に接触できず,
すき間からガソリンが漏れ出してしまいます.
フロートリップとプッシュピンにはある程度の遊びが見込まれますが,それを考慮してもアウトであるといえます.
補修しても結果がこれでは何の意味もないことです.
図1.8は取り外したフロートバルブの様子です.
先端にゴミが堆積していて,シートとの接触部が青緑に変色していることが分かります.
図1.8はフロートバルブの先端を正面から見た様子です.
黒矢印cで示した青緑の円がバルブシートと接触していた部分であり,
左下の部分(時計で例えると太い針で7時から9時くらい)の部分が正常にあたっておらず,
密着不良を引き起こしていたと考えられます.
およそ10年このままの状態でいた為これだけの形跡を得ることができましたが,
支柱の未熟な補修による傾斜がもたらすフロートピンの傾きだけでも,
十分にガソリン漏れが起こると判断することが可能です. |
【整備内容】
傾斜した支柱を正常な位置に戻すという方法は,
それにかかる時間や費用,技術,リスク等を総合的に考えれば最善の策とはいえません.
一度根元が切断されているものは周囲から補修しても強度的に弱く,可能であれば再使用は避けたいものです.
今回の事例では,当社に在庫していて分解洗浄済みのキャブレータを使用することで対処しました.
当社ではRG500/400Γ (HM31A/HK31A) の整備を頻繁に行うことからキャブレータの在庫を保持していましたが,
例え部品がなくても次の手,更にその次の手を考えておく必要があります.
図2.1は代替のキャブレータの支柱部分の様子です.
正常であれば支柱のキャブレータボデーとの接触面は一体物ですから,
フロートピン使用の負荷に対して十分な強度があります.
逆にピンの引き抜き時にこれを折る様な力をかけること自体が論外であり,
構造物に対する力のかけ方や逃がし方,材料の許容耐久力を読まなければならないのは整備技術の基本中の基本です.
それをおろそかにすることにより,部品の破損という不幸な結果に至るのです.
そしてそれが絶版部品であれば,尚一層整備を困難にすることは間違いありません.
絶版部品はお金を出せばホイホイ買えるものではないのです.
だからこそより一層慎重に整備を施さねばなりません.
中古のキャブレータにおいて支柱の折れている部品を見る機会が少なくないことは,
発売から現在までレベルの低い素人整備が横行していたことを如実に示しており,
今後もどこかで誰かが支柱を折り続け,中古部品として市場から確実に個体数を減らしていくことが懸念されます.
図2.2は支柱にフロートピン及びフロートを取り付けた様子です.
x軸とy軸上にフロートの側面が位置し,
かつ赤矢印sで示したフロートとニードルジェットホルダハウジングのクリアランスが適正であることが分かります.
これによりフロートバルブが均一にシートに接触することになり,正常にガソリンを保持することができるようになりました.
図2.3は不具合箇所をすべて修正し,オーバーホールの完了したキャブレータの様子です.
もちろん機能のみならず,外観の美しさも取り戻すことができました.
最終的にその他の不具合箇所を修理した上で試運転を行い,
ガソリン漏れの解消や加速等走行における状態が良好であることを確認して整備を完了しました. |
【考察】
当社で整備を実施する車両は多岐にわたり,
特に古い物であればどこかで誰かの手が入ってしまっている場合が少なくありません.
ここで“入ってしまっている”と表現したのは,やらない方が明らかに良かったといえる様な事例があまりにも多い為です.
今回のキャブレータにおける惨状もまさにそれに当てはまり,
結果的にガソリン漏れという重大な不具合を引き起こしていました.
この様な素人整備は百害あって一利なしであることは疑いようもない事実です.
業者がやろうが誰がやろうが結果がこれでは素人整備の域であり,
もはや技術云々以前に,曲がったフロートに蓋をしてしまう様では,
人間性の問題に踏み込まなければならない領域に達しているといえます.
このキャブレータのフロートピンの支柱はロウ付け補修されていましたが,
ロウ付けする必要が発生したのは支柱が折れているからであり,
支柱が折れたのは作業者がピンの抜き取り時に技術が未熟な為折ってしまったと断定できます.
なぜならこの車両が新車からのワンオーナーであり,
業者しかキャブレータを分解していないということが分かっているからです.
そして問題なのは,その業者が自ら支柱を折ったばかりでなく,
それを補う為にロウ付け補修したにもかかわらず,オーナーには一切連絡していないということです.
つまり折った支柱を補修して体裁だけ整えることにより,“なかったこと”にしてしまったのです.
ここで完全に元通りに復元されていたら誰も気づかなかったかもしれない,という安易な可能性は捨てなければなりません.
それは補修部分や材質からして完全に復元することが極めて難しい部位であると言えるからです.
結果的に支柱が傾斜したままの状態でフロートチャンバがフタされ車体に組み付けられていました.
しかしピンの抜き取り技術が未熟な為に折ってしまった支柱の補修そのものが未熟である為に,
歪んだままフロートを取り付ければガソリン漏れが発生すること等容易に分かるはずですし,分からなければなりません.
目で見て明らかに取り付けの曲がっているフロートにそのまま蓋をして“ハイどうぞ”では,
納車された方はあまりにも悲劇であり気の毒です.
たまたまお客様のご都合により,業者の納車後はほとんど乗る機会がないまま長期保管になってしまったという流れにより,
この支柱の不具合が顕在化されませんでしたが,それから10年を経てメガスピードで明らかになったわけです.
人間は誰しも完璧ではありません.
ヒューマンエラーと呼ばれる現象が研究対象になるくらい大きな問題として,
そして人間である限りミスはどこかで必ず生じるものです.
ですから,いかにミスを少なくする,あるいはミスをしても確実に対処するかがカギになるといえ,
もしミスをした場合に完全に元の状態に復元できなければ,それはお客様に事情をきちんと説明すべきですし,
それが更なる信頼に結び付く可能性すらあるのです.
確かに整備ミスで破損させてしまった場合に隠ぺいしたい気持ちは分かります.
しかし,それではダメなのです.ダメなものはダメなのです.ならぬものはならぬ,ということです.
隠ぺいしたつもりでも,作為的な不具合はいつか必ずどこかで明らかになるものです.
なぜならバイクという対象が機械だからです.
今回の事例においてこのキャブレータの様に10年前にされた不適切な仕事が明らかにされたように,
今した仕事が10年後にも残るのです.
そこが機械をはじめ実際に存在する耐久年数の長い“モノ”を仕事の対象にする難しさです.
つまりこの業種は今実施した仕事が今後何年も残るのです.
そして整備技術者はそのことを常に心にとめておかなければなりません.
それが職種として最も難しい点のひとつであり,またやりがいでもあります.
『まだ調子良く走っていますよ.』
お客様からそんな言葉をいただくとき,一個の整備技術者として,それ以上の称賛はないのです. |
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