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事例:D‐42

セルモータ内部マグネットの脱落によるアーマチュアロックがもたらす始動不能について


【整備車両】

 
GSX1300RY (GW71A) "HAYABUSA" 隼 (ハヤブサ)  年式:2000年  参考走行距離:約25,400km


【不具合の症状】

 セルモータが回らなくなりエンジン始動不能に陥りました.

【点検結果】

 この車両はガソリンスタンドで給油してからエンジンをかけようとしてセルスイッチを押したものの,

セルモータがほとんど回らず,ほどなく完全にセルモータが回らなくなったということで,

メガスピードにて精密に点検整備を実施したものです.


 バッテリは新品にして約半年程度というものでしたが,

再始動不能の原因としてたまたまレギュレータが給油直前に故障して,

ガソリンスタンドにたどり着いた時はほとんどバッテリの残量がなかった可能性がある為,

始動時の原因を充電系統かどうか正確に切り分ける為,まずバッテリを完全に充電し,エンジン始動を試みました.

しかしセルモータがわずかしか動かなかったことから,バッテリ本体である可能性を排除し,

その上流の充電系統の良否は影響ないと判断しました.


 ここで考えられるのは,セルモータの不良,配線の不良,マグネットスイッチの不良,ハンドルスイッチの不良,

クランクシャフトのロック等が挙げられますが,少なくとも給油直前まではバイクが正常に動いていたことや,

セルモータが少なからず回ることからクランクシャフトがロックしている可能性は低いと推測できます.

またセルモータまで電流が流れていることから,配線に断線はなく,

ハンドルスイッチやマグネットスイッチは最低限の役割は果たしていると考えられますが,

問題はどのくらいの電気が流れているかが分からない為,まずは電流の測定から実施しました.



図1.1 異常な大電流の流れているスタータケーブル

 図1.1はセルモータの回転が停止した時点のマグネットスイッチからセルモータ間のスタータケーブルの電流値です.

約233Aという通常では考えられない程の大電流が流れていることを確認しました.

このことからセルモータまでは電気が流れているものの,

何らかの不具合によりモータがロックして大電流が流れてしまったと推測することができます.




図1.2 煙の発生したバッテリ端子

 図1.2は大電流が流れたことによりワイヤが過熱して被覆から煙が発生した様子です.

回路中にヒューズが存在しないため,無理にセルモータを始動させようとし続ければ,

被覆を容易に溶かすほどワイヤが熱を持ちます.



図1.3 著しい抵抗のあるピニオン

 図1.3は異常がセルモータ単体なのか,その先が影響しているのかを調べている様子です.

セルモータのピニオンを無負荷で回転させてもかなり大きな抵抗があり,ガリガリとした手応えがあるため,

モータ単体で異常が発生している可能性が極めて高いと判断することができます.




図1.4 スタータギヤの点検

 図1.4はスタータギヤから先の状態を点検している様子です.

ギヤを回しても異常がないことから,スタータギヤから先のクランクシャフトを含めたエンジン内部に,

焼き付き等のロックとなる原因はないと推測できます.




図1.5 ワンウェイクラッチの点検

 図1.5はワンウェイクラッチの動作を確認している様子です.

目立つ損傷や異常はなく,動作も良好であり,クランクシャフトを手で回したところスムーズに回ることから,

スタータギヤから先の機関が問題ないことを確認しました.

以上の点検結果によりセルモータの異常が推測され,

実際にモータ単体で無負荷状態における電流を測定しました.




図1.6 セルモータ単体での電流

 図1.6はセルモータ単体で始動させたところ,モータの回転が急速に弱まり停止した時の測定値です.

無負荷においてモータを回転させることができませんでした.

これはスタータギヤを取り外しているためクランクシャフト軸の抵抗はなく,

いわばモータ単体の抵抗により142Aという異常電流が流れたことを示しています.

このことからスタータギヤから先の異常の有無にかかわらず,

セルモータ単体のロックにより大電流が流れていると推測されます.

したがって,エンジンを始動できなくなった最低限の原因のひとつとしてセルモータ単体の不具合が考えられます.



図1.7 マグネットが偏っているセルモータ内部

 図1.7は不具合があると判断したセルモータを分解した様子です.

見た瞬間に違和感を覚えるところですが,本来あってはならない空間が左下に存在し,

かつマグネットが寄ってしまい,すき間がなくなっているという異常な部品の配置になっていました.

またマグネットの破片と見られる物体が至るところに散らばっていました.



図1.8 マグネットが偏っているセルモータ内部

 図1.8は図1.7と逆側のピニオン方向からモータ内部を撮影した様子です.

外観は全く異常が見られないものの,実際に開けてみると,

マグネットが側壁から剥がれてアーマチュアと共回りしていました.

これでは正常な磁界が形成されず,十分な起電力を発生させることはできません.



図1.9 破損したマグネットの破片

 図1.9はマグネットと接触して出来たと見られる擦れ傷のあるアーマチュアの様子です.

マグネットの一部と見られる破片がコイルに貼り付いていました.



図1.10 マグネットの脱落したケース内部子部

 図1.10はケース内側の様子です.

本来はマグネットは90度置きに4か所に設置されていなければならないものですが,

脱落していなかった2つも位置がずれて隣同士くっついていました.

そしてケース内側にはマグネットがラジアル方向に回転して擦れた形跡が見られます.



図1.11 ケースから脱落したマグネット

 図1.11はモータケースから脱落したマグネットの様子です.

画像右のマグネットは一部が破損していました.

これがアーマチュアの回転によりケース内に散らばったと考えられます.




図1.12 脱落したマグネット接着面

 図1.12は脱落したマグネットを裏返した様子です.

劣化等何らかの理由により接着が剥がれて脱落し,アーマチュアの回転に引きずられるようにケース内を擦り,

1箇所に寄ってしまったものであると考えられます.



【整備内容】

 脱落したマグネットは一部が破損していることから再使用は不可能と判断し,

剥がれたものの傷の無いマグネットも接着の問題が解決できないことからセルモータASSYを新品に交換しました.



図2.1 新品のセルモータとピニオンの点検

 図2.1は新品のセルモータのピニオンを指で回している様子です.

新品のピニオンは多少の抵抗はあるものの,指で回すことが可能です.






図2.2 エンジンに取り付けられた新品のセルモータ

 図2.2は新品のセルモータをエンジンに取り付けた様子です.



図2.3 クランキング時の正常な負荷電流

 図2.3はエン
ジンをクランキングさせた時にリレーとモータ間に流れる電流を測定した様子です.

平均して
約80A程度を示しており,これは規定値の80A程度と正確に一致するため,状態は良好に改善されました.

セルモータの回りが力強く非常にスムーズであり,エンジンも瞬時にかかるようになりました.




図2.4 新品の電源及びアースケーブル

 図2.4はリレーとセルモータ間のワイヤおよびセルモータとバッテリマイナス間のケーブルを新品にした様子です.

すでに電流は正常値を示していましたが,

今回の整備では配線も同時に新品にすることにより最良のコンディションに仕上げました.



図2.5 新品のマグネットスイッチ

 図2.5はマグネットスイッチのスタータリレーを新品に交換した様子です.

これにより,始動系統はすべて新品に交換され,新車時と同じ性能を発揮することができるようになりました.



図2.6 各部整備後の自己診断

 図2.6はエンジン始動後に最終確認として自己診断:ダイアグノーシスを点検している様子です.

電気系統を点検する前,そして点検完了後は,ダイアグノーシスが備え付けられている車両については,

付随的な不具合の検知を兼ねて自己診断しておくことが望ましいといえます.

GW71Aの場合,始動系統は自己診断内容に含まれていないため直接的なつながりはありませんが,

整備のために取り外した各センサのカプラや配線等の付け忘れチェックにも非常に役立ちます.



図2.7 インジケータに表示された“異常なし”のコード

 図2.7は自己診断:ダイアグノーシスで異常がない(正常である)を示したC00が表示されている様子です.

各部その他の付随した部位を含めてすべての整備を完了し,試運転において冷間時の始動性や,

暖機後の始動性,連続負荷,その他実際の使用状況を再現して問題ないことを確認して整備を完了しました.



【考察】

 走行距離25,000km程度ではセルモータが損傷することは少ないといえますが,

大型バイクの場合は,車重が重く押しがけ等が困難であることから,

セルでの始動は必須であり,そのコンディションはマグネットスイッチ等も含めて常に良好に維持される必要があります.

そして実際に走行距離25,000km程度でセルモータのマグネットが破損したという現象が発生した以上は,

同機種においては尚一層気を引き締めて点検整備される必要があるといえます.


 測定機器メーカー【HIOKI】によると,電流が100A以上表示された場合は,

最低限その表示電流以上の電流が流れているということなので,

モータ単体のロックとクランクの抵抗で発生した233Aという大電流はとてつもない数値であるといえ,

非常に危険と言わざるを得ません.


 この車両は前々から
セルスイッチを押してからセルモータが回転するまで0.5秒程度のラグがあったということですから,

すでにその時には内部のマグネットの位相がずれ始めていて,起電力が発生しづらい状態であったことは否定できません.


 マグネットがはがれるという,一見ありえなそうな不具合ですが,

部品が恒久的な固定方法ではなく単に接着剤で接着されている以上,いつか必ず剥がれる時が訪れます.

可能な限りそうなる前に新品に交換しておくことが望ましいと言えるのは,

大型バイクを押して帰った記憶のある方であれば容易に理解できるはずです.

特に大型バイクは重いだけでなく,押し歩きしている間にもその質量から転倒させやすいといえ,

安全面からも極力人力で押し歩くことは避けたいものです.


 隼は一度モデルチェンジしたものが現行で発売されていますが,デビューが1999年頃であることを考えれば,

初期型はすでに要リフレッシュの状態に陥っていることは想像に難くありません.

ましてや超高速域まで使用することを前提とするならば,不具合が1つでもあればそれは致命的な問題になりかねず,

各部が消耗した状態では安心して高速域を走れるわけがありません.

旗艦であるハヤブサといえども確かに中古車市場では値段が下がってきていますが,

それに比例して安全性も低下していることを忘れてはならず,そこを軽視すれば致命傷になり兼ねません.

つまり,値が下がってきたからといって安易に飛びついてはならないということです.


 今回の事例ではセルモータの不具合について取り上げましたが,

同型のW701型エンジンでオイルパイプが脱落しかけている
※1 事例も存在したことを加味すれば,

すべての部位に関して同様に衰損していると考える必要があり,

それがライダーが生き残れるか否かに直接的に影響するのであれば,

整備や修理,定期点検等への投資を惜しむ余地はどこにも存在しないのです.





※1 オイルパイプ取り付けボルトの緩みとカムシャフト廻りの焼き付きの可能性について






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