世界でたった1つのものが欲しかった! ~整備士としての職業的限界とそれを超えたオリジナリティの追求~ |
「他人が作ったものを直しているだけ」という極論との戦い 整備士であれば、車の整備や修理をするのは当たり前です。それが整備士というものですし、社会的な役割です。最初は故障車を修理したり、オーバーホールしたりして、きちんと動く様にできることが嬉しくて仕方ありませんでした。私が仕事で青いツナギ(作業着)を着ているのは、ただ青が好きなだけではありません。憧れだった整備士が着ていて、カッコイイなと思ったからです。 しかし技術向上に務め、更に何年も経つと、部品さえあれば直せるのが当たり前というレベルに達しました。そうなると、だんだんと、自分のやっていることは、結局自動車メーカーが作った製品を直しているだけに過ぎない、と思うようになりました。バイクでいうのなら、ハヤブサにしても、RGΓシリーズにしても、どんなに詳しくなろうが修理の名人になろうが、結局はSUZUKIというメーカーが作ったモノに後から関わっているに過ぎないのです。つまり、SUZUKIという「他人」の作ったものを直しているだけに過ぎない、もっと強く言うのであれば、SUZUKIというメーカーの手の内で遊ばされているに過ぎないということです。更に厳しく言うのであれば、自分は他人のふんどしで相撲をとっているピエロに過ぎないと思うようになりました。自分では何も成し遂げていない、ただバイクメーカーがつくった玩具で遊ばされているだけだ、と。そう思うと何をやっても虚しく、修理そのものが無味乾燥に思えてくるようになりました。つまり、いわゆる「整備士」という職業に限界を感じる様になりました。 しかし同時にそれは、ひとつの領域で、あるレベルに達したものが直面する壁だということも分かりました。そう、それはちょうど映画俳優が監督をやり始める様に、ピアニストが自ら作曲して弾き始める様に。「整備士」という枠に自らはまり込まず、そこから出て製作する側になれば良いと思うようになりました。 1からすべて設計するのは、まず時間的に不可能 今目の前にある当たり前の車やバイクは、数え切れないほどの先人たちその人生をかけて、そして延べ100年以上の時間費やし徐々に作り上げていったものです。例えやる気があっても、とても一人で1から作ることなどできません。どう考えても十分な実験・研究をするには寿命が足りないからです。 それなら、自分独自のオリジナル部品をつくる バイク一台を丸ごと一式作れないのであれば、バイクを部品の集合体としてみたときに、1つだけは完全に自分で設計製作したものが欲しいと思うようになりました。駆け出しの頃からすでに過給式エンジン制御に目標が定まっていたので、対象はもちろんECU(Electric Control Unit)となりました。そして本来NAであるバイクにターボを取り付けた場合、あらゆる項目が自由に設定できるECU以外、完全にセッティングをするのが不可能であることも分かっていたので、その点からもECUに絞られました。しかしECUの製作をどこまでやれば自分が設計製作したと言えるのか、そこが難しいところでした。 どこまでやれば、オリジナルと言えるか 例えば料理人であれば、料理のメニューや食材の選定から始まるかもしれません。しかしそれでは甘い。厳密に言えば、完全に自分がオリジナルの料理を作ったと言うのであれば、食材から作るべきだと私は考えました。つまり独自のレシピで作るカレーにニンジンを食材として使う場合、ニンジンを育てるところから開始すべきなのです。パンを使うのであれば、麦を育てるところからやるべきです。そして育てる為の水の採取も、肥料を作ることも、すべて自分でやってこそ、本当の意味で完全なオリジナルのパンと言えます。物事を本気で突き詰めるとそうなります。ですが、この話を知り合いのある画家にしたところ、「いや國吉くん、それは間違っているよ。行き過ぎだ。いいかい、画家にとって画材は舞台だ。画家はそこからが勝負なんだ。真っ白いキャンバスはすでに用意されていて、そこに画家はオリジナルの表現をする。だが画家がもしキャンバスから作っていたら、それは画家ではなく、画材職人と言うべきだよ。画材だけでも非常に奥が深い。そこは画材を作る人に任せなきゃ。」そう言われると、胸につかえていたものが無くなっていった気がしました。 ECUの設計製作を表現舞台にする ECUの構成は一般に中央にCPUを含んだマイクロコンピューター(以下マイコン)、そして周囲に電子回路が配置されています。贅沢を言えば、マイコンから作りたい。それでこそ、本当に1からECUを作ったと言えるでしょう。ですが、マイコンは世界でも数える程度の巨大なメーカーしか作ることができません。しかもその設計は抜きんでた頭脳を持った技術者たちの粋が集まったものです。本当に自分で1から真面目に作ろうとしたら、アーキテクチャーを理解するだけで寿命が終わってしまうかもしれません。ですので、マイコンはルネサス(Renesas)に任せることにしました。これは画家にとってのキャンバスと同じです。そしてマイコンにプログラムを書き込む為のルネサスが用意してくれたデバッガ・エミュレータや統合開発環境はペンと同じです。また、本当に1からプログラムしたと言うのであれば、プログラミング言語も1から作るべきです。ですが、そこにこだわれば、やはり勝負する舞台設定がズレて、プログラミング言語学者になってしまいます。ですのでここは先人たちが築き上げた伝統あるCを使わせていただき、プログラムすることにしました。 電子回路も同様です。抵抗やコンデンサを手作りしてやったのであれば、本当に1から電子回路を作ったことになるかもしれません。しかしオペアンプも使わなければなりませんし、シュミットトリガも必須です。電子部品も先人たち苦労して作り上げ今の形になったものです。それを1から作るには寿命が足りません。そうなると、やはりそれらも舞台設定のひとコマであり、それらを材料として使うところから勝負しなければならないと考えることにしました。 結論として、ECUに必要なマイクロコンピューター、そこにプログラムを書き込むための環境、プログラミング言語、そしてマイクロコンピューターとエンジンをつなぐための電子部品、それらをすべて舞台設定のツールと決めました。そしてここからが私の表現発表するエリアに設定しました。どのようなプログラムでエンジン制御を実現するか、どのような電子回路でCPUとエンジンを連結させるか。その設計は完全に自分のオリジナルです。 ECUはエンジンにとっての脳、そしてCPUに書き込まれたプログラムは心 ECU(Electric Control Unit)はエンジンにとっての脳と同じです。どんなに屈強なエンジンでも、脳がなければ動きません。ですが、物理的な脳細胞だけあっても、その中身がなければ思考できないのと同じように、ECU内部のCPUにも中身が必要です。そしてその中身がソフトであるプログラムです。人間に例えれば、プログラムは思考・意思・心です。燃料噴射にしても、点火にしても、どのようなアルゴリズムで実現するか、それは十人十色であり、プログラムはまさに製作者の思考が織り込まれたオリジナルの作品だと言えます。 多感だったころ、私は特に人の心に関心がありました。ですのでその頃は海外文学を読み漁ったり、とにかく心についての手掛かりを得ようともがき、勉強していました。ですが仕事としては「人」ではなく、最終的に「モノ」を対象とする道を選んだので、そのモノにとっての心であるCPU内部のプログラムを自分のアルゴリズムでつくりこむことにアイデンティティを見出しました。すなわちここで、あたかもそれぞれが待ち合わせしていたかのように、点と点が線となりました。乗りたかったオリジナルのターボバイクの製作、そのエンジン制御の為のECUの製作、そこに書き込むべきプログラム、と役者が完全に融合して一つの地点に到達したのです。 世界でたった1つのもの プロトタイプではあるものの、すでにCBR250Rターボに取り付けたMEGA-denshi製のオリジナルECUでの走行距離が高速走行を含め7,000kmを越えました。整備士として、組み込み技術者として、より優れたECUの開発を目指し、日々研究を続けています。すべてはターボエンジンを思い通りに制御するという目的のために。そしてそこが出発点となり、もはやエンジン制御の枠を越え、温度計やメーターの作製など、普遍的な組み込みへの意欲が尽きることなく溢れ続けています。 まだプロトタイプの段階ですが、ようやく世界でたった1つのものを作ったと言っても良いと思えるようになりました。確かにCBRはホンダが作ったものですし、タービンは三菱重工業がつくったものです。マイクロコンピューターはルネサスの製品ですし、その周辺に使う電子部品も村田製作所の製品や、その他多くの企業のものです。ですが、それらはすべて素材です。その素材を組み合わせ、アルミパイプを溶接してインテークを作り、更にはインジェクタを追加し、その制御の為のECUのCPUに1からプログラムを書き込み、電子回路を配置して一つのターボバイクとして完成したのであれば、「他人のふんどしで相撲をとるピエロ」であった過去の自分を越え、オリジナルのモノができたと言っても良いと思うのです。更にここから先どこまで行けるか、どうなってしまうのか。もう誰にも止めることはできません。 |
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