【ある赤いタコの話】 |
私が5歳くらいの時、なぜかバケツに赤いタコが入れられて家の中に運ばれてきました。 どうやらおばあちゃんがどこからかもらってきたものらしいのです。 タコが青いバケツの底で少し弱りながらも必死に動いていました。 私は飼えるかもしれないと思いました。子どもは何か生き物がいるとすぐに飼いたがるものです。 「ねぇ、もしかしたらだけど、それ飼えるかなぁ?」 「馬鹿ねぇ、タコは海にいるんだから。」 タコはしばらくバケツに入ってテーブルの脇にいたと思います。 私は何とかうまく飼いたいという気持ちを母に伝えようと考えていました。 でも、ほんのわずかに目を離しただけだったのです。 気付いた時にはすでにフライパンで母が炒め物を始めていました。フタがされて中身は見えませんでした。 まさかね。生きてたんだもの。 まさかと思いつつその中身が気になって仕方がなかったのです。お母さんがそんなことするはずないと。 そわそわしながら脇でじっと見ていました。 「どうかな~。」 母がゆっくりフタを開けて中を覗きました。 小さな私にも見えるようにフライパンを斜めにしてくれました。 そこには3cmくらいの細切れになったタコそっくりの赤いものが入っていました。吸盤みたいなものもありました。 私は急いでバケツを見に行きました。 青い底には濁った水が少しあるだけでした。 泣きたくなるのをこらえて母のところに行きました。 「ねぇ、それバケツにいたやつ?」 「そうだよ。ほら良く焼けた。」 その瞬間、胸が痛くなるほど悲しい気持ちに襲われました。 ―どうして待ってくれなかったの? 何で焼いちゃったの?― おばあちゃんはうめぇうめぇとタコを頬張っていました。 「ほらお前も食え。」 「やだよ。いらないよ。」 私は焼けたタコを見るのも気持ち悪くなっていました。 「じゃあお母さんがもらうよ。」 母が台所からやってきて、ヒョイと楊枝ですくって美味しそうに食べました。 さっきまで生きてたのに。 まだ動いてたのに。 飼えるかもしれなかったのに。 * * * * * 太平洋戦争を生き抜いたおばあちゃん。 戦後の日本を支えた団塊の世代のお母さん。 みんな一生懸命生きてきた。 タコを飼うだなんて笑われちゃうよね。 ほろ苦い想い出とともに初めて知った食べ物になる命。 でもね、今なら、きれいな水槽でタコ飼っても良いかな。 |
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