トップページ代表の個人的なページ随筆【essey】


『お父さん、あの人知ってるの?』


 小学校低学年だった1986年頃のことです。日曜日は父と車で“探検”に行くのが楽しみでした。探検と言っても、私が横で右だの左だの行きたい方をランダムに指さして連れて行ってもらうというささやかなものです。それでも知らない場所まで行けるのは、行動範囲の限られている子どもにとっては大きな楽しみでした。

 その日も寝坊している父を何とか起こして家を出たのは昼過ぎでした。
助手席に座りながら、私は街の景観を眺めていました。しばらくしてからのことです。向こう側からやってきた車のおじさんが、手をあげて挨拶してきました。父も手をあげて、ゆっくりとハンドルに戻しました。
「お父さんあの人知ってるの?」 
「知らないよ。でも道を譲ったから、向こうの人が挨拶してきたんだ。こういう細い道は電柱なんかが出っ張っているから、車が停まってたりすると、一台ずつしか通れないんだよ。」

 まだ九九を習い始めた頃の子どもには、車で道を譲るということも、その際に知らない人に挨拶するということも、あまり理解できませんでした。そしてあの頃は、少しでも幹線から外れれば、どこも細い道ばかりでした。

 あれから随分経ちました。時は21世紀になり、道路も整備され、あいさつの仕方も変わってきたように思えます。お互いに顔の見える明るい時間に道を譲っても、知らん顔でハザードを点灯させるだけの人が増えてきました。それはそれで自動車に関する交通文化の変遷の一コマとみれば、何ら問題ないことかもしれません。しかし昭和の終わりに見た、あの“ありがとう”という知らないおじさんの笑顔が子供の心に何かを残したことは、確かに、揺るぎない事実なのです






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