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『震災にまつわるガソリンスタンドでのお話』


 2011年3月11日。あの日の2日後くらいだったと思います。軽トラックの荷台に携行缶を積んで、私は国道沿いのあるキグナスに入りました。その頃にはガソリンスタンドはどこもかしこも閉まっていて、ガソリン切れの立て札があるばかりでした。私の軽トラックのガソリンも燃料計の針がEを大きく下回っていて、ガソリンスタンドを探すためのガソリンもほとんどなくなっていました。
 そのガソリンスタンドにもロープが張ってありましたが、良く見ると右端にあいたすき間から中に入れるようになっていました。1台車が給油しているのが見えたので、私もそこから中に入り、その後ろに着けました。少しすると、深く刻まれたしわと薄いシミのある、齢80近くであろうおとっつぁんがやってきました。
 「レギュラーありますか?」
 おとっつぁんは黙って頷き給油口を開けました。そして軽トラックが満タンになると、そのまま何も言わずに荷台の携行缶にもガソリンを入れてくれました。私はハンドルにもたれて前のめりに突っ伏しました。どこに行っても給油を断られていたので、震災直後の動転した気持ちと安堵が混ぜこぜになっていたのかもしれません。それからほどなく、国道から車が次々に流れ込んできました。

 私は昔、父から聞かされた話を思い出していました。1970年代のオイルショックの時のことです。
 「あの時はね、お父さん仕事の出張でトラックを運転してたんだけど、もうほんとにガソリンが尽きかけてて止まる寸前だったんだよ。いやぁヤバかった。でも何とか運良く麓のガソリンスタンドまでたどり着いて、そこで給油してくれたんだ。本当に助かったよ。他じゃガソリンがあっても売ってくれなかったんだから。あの時は。」


                   *                     *                     *

 あれから月日が経ち、世の中はあたかも平生を取り戻しているかのように見え、ガソリンを給油できるのが当たり前の生活に戻っていました。私はあの日以来、久しぶりに、かのキグナスに入りました。辺りはもう暗くなっていて、明るい事務所の奥にはソファーに腰掛けてテレビを見ているおとっつぁんの姿がありました。
 鍵を渡してレギュラー満タンを頼んでから私はトイレに立ち寄りました。しばらくして給油が終わり、精算し、おとっつぁんに話しかけようかどうしようか迷っていました。何だか恥ずかしかったのです。でも、言わなきゃね。
 「震災の時にね、おじさんにガソリン入れてもらって助かったよ。」
 おとっつぁんはもう耳がほとんど聴こえなくなっていました。
 「え?なに? 耳がね、聴こえねんだ。こっちで話しちくりるか?」
 そう言って、おとっつぁんは横を向いて右耳を私の顔に寄せました。
 「この前ね、大きな地震があったでしょ? あの時ね、おじさんにガソリン入れてもらって本当に助かったの。」
 私は一言一言区切りながら、大きな声でゆっくりそう伝えました。聴こえたのか聴こえていないのか、おとっつぁんは顔いっぱいのしわを集めてニッコリしました。私も何だか胸がいっぱいになりました。不安に脅えていたあの頃のことを思い出したのかもしれません。
 車に乗ってエンジンをかけると、おとっつぁんは事務所に隣接しているガレージのシャッターを降ろし始めました。今日一日の仕事を終えたのでしょう。

じゃあね、おとっつぁん。きっとまた、来るからね。





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